日本が戦後の復興を経て高度成長期に入り始めたのが昭和30(1955)年で神武景気が始まった時期でした。この後「岩戸景気」「オリンピック景気」「いざなぎ景気」と凡そ19年間好景気が続きました。実質経済成長率が年平均約10%の驚異的な成長率で、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に伸し上っていった時期の始まりでした。また経済成長に伴い公害問題も深刻化していった時代です。
志茂一丁目地区では昭和29年に、初代の大畑金太氏に替わり2代目自治会長に望月栄四郎氏が就任しました。昭和32年新番地が施行され、その結果昭和33年4月の定期総会で「志茂一南自治会」から「志茂一丁目自治会」と名称が変更され、3代目自治会長に埴原小次郎氏が就任しました。
昭和35(1960)年8月5日志茂一自治会館(仮称)建設協賛会が太子堂で開催され、この時から志茂一丁目自治会が自分たちの会館を持つための試行錯誤と苦渋の歴史が始まりました。
志茂一丁目には戦前自前の会館を持っていました。しかし、戦後GHQのポッタム政令により町会は解散させられ、持っていた会館事務所を処分してしまいましたので、集会場所としては太子堂(圓照寺)を使わざるを得ませんでした。(志茂一丁目南町会の解散から再建までの項参照)
昭和36年4月19日、会館を建てる募金の許可が下りましたが、日本は高度成長期に入り土地の値段はうなぎ上りに高騰し、会館建設は募金で賄える環境では無くなりこの計画は途中で解消してしまったようですが、詳細は今となっては判りません。
この年、旧赤羽火力発電所跡地に清掃工場の建設が都より提案され、これに対して志茂、神谷、柳田の11自治会が連帯して「ゴミ焼場設置反対期成同盟」が結成されました。この期成同盟は10年に亘り闘い、会館建設との成果も得ました。この件に関しては後の章で詳細に記述します。
昭和38年3月15日 理事会において仮会館建設が承認されました。4月7日に志茂1-17の荻原所有の敷地に36坪のプレハブ建築の仮会館をつくりました。
昭和38年5月4代目自治会長に児玉直三氏が就任。
ゴミ焼場建設問題は志茂一丁目自治会に亀裂をもたらしました。建設絶対反対派と条件付き賛成派に分裂しました。賛成派は一丁目自治会を脱会して別の町内会を作ることを画策しましたが、まとまった地区の住民でなかったために、区からの許可は下りませんでした。
昭和39年4月老人クラブ志茂一西「寿会」の結成、次いで6月に老人クラブ志茂一東「白寿会」が結成されました。志茂一丁目に二つの老人会が結成されたことは異常といえます。これもゴミ焼場建設問題が引き起こした余波で、やはり反対派と賛成派がそれぞれの老人会を作り、その後長い間この二つの老人クラブは対立し併存してゆきました。
昭和30年代には、志茂一丁目に大野安太郎氏と望月栄四郎氏の二人の区議会議員が居られたことも特筆すべきことかと思います。
ゴミ焼場建設問題で町内はもめた時代ではありましたが、高度成長期に入った時期でもあり、町内の商工業が盛んになり、今では考えられないほど沢山の店舗が営業していました。
昭和36年に初めて志茂一丁目自治会の会員名簿が発行されましたが、その中からどのような店舗があったのかを一覧表にし、その場所を町内の地図に落とし込みました。
志茂1丁目の商工業(昭和36年頃)
| 番地 | 店名・社名 | 番地 | 店名・社名 |
|---|---|---|---|
| 1-1 | 北志茂一郵便局 | 1-4-8 | 共和電線工業 |
| 1-4 | 不二エボナイト | 1-6-2 | 辻無線商会 テレビ修理専門 |
| 1-6-2 | 赤羽電機商会 小林輝一 | 1-6-5 | ㈱大都製作所 木原茂 |
| 1-6-7 | 大垣青果店 | 1-7-1 | 大黒湯 望月栄四郎 |
| 1-7-5 | 相磯洋服店 | 1-7-5 | あづま屋小日向商店 菓子雑貨 |
| 1-7-7 | 鞄製造業 長尾恵司 | 1-7-8 | 菅沼クリーニング店 |
| 1-8-4 | 駄菓子屋 堀内はる子 | 1-8-5 | 藤村貸本店 |
| 1-9-1 | 板金業 安川幸太郎 | 1-9-8 | 藤村指圧マッサージ治療院 |
| 1-10-4 | 伊豆屋味噌店 井上蔵次郎 | 1-11-3 | 鳶業 内山条吉 |
| 1-11 | 下駄屋 | 1-11-2 | 大内そろばん塾 |
| 1-11-1 | 編物服装学院 太田美佐子 | 1-12-1 | 山野辺商店 煙草・駄菓子 |
| 1-12-3 | 佐藤医院 内科・外科・小児科 | 1-12-6 | 菓子屋 筑場栄二 |
| 1-12-7 | 岩崎畳店 | 1-12-7 | 八木勉強堂 文房具・書籍 |
| 1-12-7 | 高野整備工業所 | 1-12-9 | パーマみもだ |
| 1-13-2 | 小林工務店 | 1-13-4 | 加藤製本所 |
| 1-14-2 | 福島屋商店 石鹸・雑貨 | 1-15-1 | 赤羽病院 埴原小次郎 |
| 1-15-9 | 回生堂 煙草・菓子 伊藤友次郎 | 1-15-11 | 田口青果店 |
| 1-15-11 | 松沢鎖製作所 | 1-16-1 | 大角畳店 |
| 1-16-18 | そば屋やぶ秀 和久井秀太郎 | 1-16-18 | ホケン薬局 桑原賢一 |
| 1-16-18 | 萩原糸綿店 | 1-16-17 | 小松モータース 自転車/軽三輪 |
| 1-17-1 | 紀和発条㈱ 杉浦文四郎 | 1-17-7 | 高柳軒 中華和洋食堂 |
| 1-17-11 | 赤羽組 建設業 斎藤文吉 | 1-17-12 | 中外精機㈱ 時計側製造 |
| 1-17-20 | 埴原税務会計事務所 | 1-17-25 | 赤羽第一歯科 関口侑潤 |
| 1-18-4 | 上原工務店 | 1-20-7 | 東和機械製作所 |
| 1-21-1 | 美雪屋豆腐店 涌井徳太郎 | 1-21-2 | 平山卵店 鶏肉・卵 |
| 1-21-3 | 柳沢菓子店 | 1-21-4 | 高橋食料品店 |
| 1-21-5 | 八百善 野菜/果物 渡辺善四郎 | 1-21-5 | まるか屋菓子店 貿屋直輔 |
| 1-21-6 | 山岸工務店 | 1-21-8 | 小林水道工業所 |
| 1-22-2 | 高村工務店 | 1-22-9 | 中村政一商店 米屋 |
| 1-22-9 | 丸善屋ふとん店 | 1-22-9 | 白井助産婦 |
| 1-23-6 | 海老原薪炭店 | 1-24-3 | 津軽屋豆腐店 腰越勝三郎 |
| 1-24-4 | 長坂靴直し店 | 1-24-7 | 新力家そば店 岩崎守宏 |
| 1-24-7 | 佐藤青果店 | 1-24-8 | 田中精肉店 |
| 1-24-8 | 木村屋酒店 | 1-25-3 | 日の出屋菓子店 |
| 1-26-2 | 渡辺建設 | 1-26-2 | 松永菓子店 |
| 1-26-2 | 佐藤設計事務所 | 1-17-1 | 佐々木電気 |
| 1-27-3 | 上野左官 | 1-27-4 | 関根帽子製造 |
| 1-27-5 | 石山珠算学園 | 1-27-10 | 樋口ミシン縫製加工 |
| 1-27-12 | 木村屋パン 井田義男 | 1-28-1 | すし徳 金井徳次郎 |
| 1-28-1 | 幸楽 高波食堂 | 1-28-2 | 円照寺(太子堂) 小野沢要七 |
| 1-28-2 | 土橋自転車店 | 1-28-6 | 唐司燃料店 炭・灯油 |
| 1-28-7 | 文林堂 文房具 生島周一郎 | 1-28-9 | 千歳屋運動具店 辛島博次 |
| 1-28-10 | 千葉薬局 | 1-29-1 | 牛尾生花・瀬戸物店 |
| 1-29-3 | 丸山酒店 | 1-29-4 | 加藤食品店 |
| 1-29-5 | 魚龍 鮮魚店 沢竜之助 | 1-29-5 | 井上豆腐店 |
| 1-29-5 | 石田洋裁店 | 1-30-4 | ゼノア化粧料 小沢王晃 |
| 1-30-4 | 冨沢建設 | 1-30-4 | 山一木材 山県新吉 |
| 1-31-16 | 長澤工務店 | 1-32-2 | 秀武館石村道場 柔道 |
| 1-33-15 | 仁平商店 文房具・パン | 1-34-21 | 川上そば店 |
| 1-34-31 | 上州屋田口商店 洋館・心太 | 1-35-2 | 菅沼店舗設計 |
| 1-35-3 | 大熊菓子店 | 1-35-3 | 高橋クリーニング店 |
| 1-35-3 | 地銅商 池田与助 | 1-35-3 | 荻野製作所 金属ボタン・バッチ |
| 1-35-10 | ㈱北信製作所 飯島信平 | 1-36-15 | 大和運送店 太田実 |

特徴的なのは志茂一丁目には8軒の工務店、2軒の設計事務所、左官、とび職、板金屋、水道工事、材木店などの建築関係の店舗が集まっていた町でした。今ではこれらの店舗の殆どがありません。
参考資料:1.志茂一丁目自治会会員名簿 昭和36年4月
2.志茂一丁目自治会会員名簿 平成13年度