志茂一町会の誕生

志茂一帯は明治のころは、北豊島郡岩淵町大字下村と呼ばれていました。
昭和7年10月1日に東京市の市町村合併により北豊島郡は東京市に合併され岩淵町と王子町とが一緒になり王子区となりました。
この時大字下村は志茂町に変わりました。

下村一帯は荒川がたびたび氾濫し、人家は少し高くなっている現在の志茂4丁目付近に集まっており、1丁目はほとんど田んぼと畑でした。
大正13年に岩淵水門(現赤水門)が完成し、荒川の氾濫による志茂一帯の水害がなくなり宅地へと変わってゆきました。

また、王子電気軌道が昭和2年12月に王子から岩淵町大字赤羽まで開通し、昭和3年には今まで舟橋であった岩淵と川口との間に、荒川大橋が開通しました。

交通の便が良くなったこともあり、関東大震災以降、東京の市内から郊外の赤羽・志茂一帯へも移住してくる住民が増加しました。
このような背景もあり、昭和7年10月1日に東京市が町村合併を行った際、岩淵町大字下村は下村の中の小字(こあざ)志茂をとり志茂町に変わり、この時志茂一町会が生まれました。

この時の志茂町は、現在の町域が一丁目から三丁目迄しかなく、志茂町一丁目は現在の一丁目と二丁目の範囲でした。

初代志茂一町会の会長は志茂1-763(現1-16-2)の柳下鐵之助氏です。

柳下鐵之助氏近影(柳下嘉孝氏所蔵)

この町会の創立の時には志茂町内会には下記の町会がありました。

旭町会志茂町1-254(現2-48)柳本久作
金鵄町会志茂町1-262(現2-50)富沢清吾
下堀町会志茂町2-1354(現3-19)稲垣藤次郎
前新町会志茂町2-1494(現3-23)金子浅五郎
水門町会志茂町3-117(現5-10)内山春雄
七溜会志茂町3-380(現4-14)山口守三郎
宮居町会志茂町3-2337(現5-17)根岸乙三郎
新田睦会志茂町2-1548(現4-3)富田金蔵
中央町会志茂町3-1883(現4-36)富田弥太郎
*3

ここから志茂一丁目の歴史が始まります。2024年10月で92年目を迎えました。

出典:
*1 東部逓信局編「東京府北豊島郡岩淵町」、大正6年
*2 人文社「昭和十六年大東京三十五區内 王子區 詳細図」
*3『東京市町内会の調査』 東京市役所、昭和9年3月

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