当時の清掃工場の現状:昭和36年当時、北区内では一日230トンのゴミが出ていた。これらは、滝野川と王子の清掃事務所が』自動車20台で深川の八号埋立地に捨てていた。しかし1回の処理に2時間30分を要し、全部のゴミを処理することは不可能であった。(産経新聞、1961年1月24日) 都では昭和36年に清掃工場建設10か年計画を立案。
1日600トンのゴミを焼却できる工場を都内に15か所作ることを計画した。
| 1955年(昭和33) | 東京都、浮間地区に清掃工場建設を計画 | 北区議会史 昭和46年 |
| 1956年(昭和34) | 浮間町にゴミ焼き場建設で反対運動発生 | 毎日新聞 9.8 |
| 1961年(昭和36) | 都が地元に焼却場設置を申し入れたが交渉が長引く中、他に売却される | 読売新聞 1.24 北区議会史 昭和46年 |
| 1961年(昭和36) | 都は2月以降、国鉄火力発電所用地の払下げの情報入手し、当該地は工業地域で立地条件良好と判断 | 北区議会史 昭和46年 |
| 1961年(昭和36)9月 | 志茂町への清掃工場建設に地元は反対 ゴミ焼場設置反対期成同盟結成 | 毎日新聞9.22 会員名簿平成1年 |
| 1961年(昭和36)12月 | 都清掃局より北区に建設概要が送付 1.経過概要 2.候補地関係 3.工場規模 4.処理能力 5.工程 6.工事費 7.備考 | 北区議会史 昭和46年 |
| 1961年(昭和36)12月 | 清掃局長 北清掃工場建設についての照会 三六清施建発一一八号 昭和36年12月15日 北区議会議長 今井甚之 | 北区行政文書 12月 |
| 1962年(昭和37)3月2日 | 地元との懇談会開催 地元:関係11自治会会長ほか1名の代表が出席 都:衛生研究所斎藤環境衛生部長、清掃局田中課長、他 「従来の焼却工場は設備が悪く、ガス・臭気等あったが、この工場は閉鎖式のもので完全燃焼する」 関連文書:2月26日付公文書が詳しい説明資料 三七清施建発第二五号 「北区清掃工場建設に伴う問題点について上水道の影響二、発生ガスについて」 地元自治会代表:この地域は工場が飽和状態であり、これ以上煙を出す工場は不要。 住民側:浮間地区の再調査を要求。 | 北区議会史 昭和46年 |
| 1962年(昭和37)3月6日 | 浮間地区の敷地に関する調査並びに現地視察 結果当該地域は廃川敷と判明 | 北区議会史 昭和46年 |
| 1962年(昭和37)4月27日 | 清掃工場反対区民大会 | 北区議会史 昭和46年 |
| 1962年(昭和37)4月 | ゴミ焼き場設置反対区民大会開催 反対の区民大会、七百人が参加 | 週刊都北 4.29,5.6 |
| 1962年(昭和37)6月 | 北区ゴミ焼場設置反対期成同盟11団体代表として埴原小次郎氏が陳情 | 北区議会史 昭和46年 |
| 1962年(昭和37)6月 | 志茂地区に、条件付き賛成の団体が結成された模様 この経過からも明らかなように、地元の反対の高まりにより、清掃工場設置問題は難航の様相を呈し始めた。 原因として公害問題に関する住民の意識の強まりと、これを説得する都当局が地元との充分な意見交換を行わず設置を強行しようとしたこと。 その間に立つ区議会も微妙な立場に置かれることになった | 北区議会史 昭和46年 |
| 1962年(昭和37)7月 | 都議会衛生経済清掃委員会 条件付き賛成の意見「 ①水路を埋め立て跡地に公園を。 ②今の線路敷を道路に。 ③老人ホームになるような集会所を作る。 ④近くの小学校への給湯を」 等が条件。 ここにおいて都議会では、志茂に工場設置を了承した 振興促進特別委員会で、都首都整備局都市公害部の伊藤主査が設置は決定であるとのべた。 | 北区議会史 昭和46年 |
| 1962年(昭和37)8月 | 地元との「清掃工場に関する懇談会」を開催 地元11自治会が参加。 地元では工場設置に絶対反対。 区議会で明確な反対の意向を希望。都議会で請願不採択の結果、区の特別委員会新任理事が熱意を失っているとの疑問 | 北区議会史 昭和46年 |
| 9月22日 | 上記案件検討の委員会開催 反対期成同盟はこの委員会の傍聴を希望するも不許可 7月27日提出の陳情第166号「旧赤羽火力発電所跡に清掃工場設置に関する件」を審査。 北清掃工場問題協議会代表倉橋貞裕氏ほか一名から提出された。 この陳情は条件付き賛成で12項目の条件。 この陳情を採択すれば反対出来なくなる発言で賛否は保留で受け付けた。 滝野川自治会連合会会長高橋勘五郎氏ほか一名で。 13942名の署名付き。 この請願は滝野川47自治会が提出。清掃工場の設置促進を一般的に要請したもの | |
| 10月~11月 | 〇 区議会で都への回答文案を巡り混乱 〇反対派が議場前を占拠し、警察官100名が出動する異例の事態 〇最終的に区議会は志茂設置を容認する回答を都に提出(12月)。 「北清掃工場建設について(回答) (概略) 照会にかかる標記工場について貴局は志茂一丁目の旧国鉄火力発電所跡に建設を意図されているが、当区議会は用地としての適否を1年3か月にわたり検討してきた。工場建設の情報を察知した近接の住民は「ゴミ焼き場設置反対期成同盟」を結成し、激しい反対運動の陳情請願を重ね、今日に至るも運動は継承され支持するあまたの区民が居ることは承知の通りである。 この間、経過とともに一部地元民は都の方針に耳を傾け、ごみ処理の緊急かつ重要性から、他に用地が求められない実情から、当該地への設置も止む無しと了解し、反対派の一部も条件付き賛成として陳情書を提出し、加えて多数区民からも工場設置促進の請願書が提出されるに至る。 当区議会は都の工場建設説明会、既設工場の見学、工場建設の調査研究、地元民との懇談会、相互理解を深めるために努力をし、請願陳情は慎重に取り上げ今日に至る。 全区民の信託にこたえ衆知を集めるに苦慮し、審議の継続をむ意見もあり、見解の統一は困難をきたす。 都は庁議決定をし、大勢は国鉄火力発電所跡地への建設も止むを得ずと考え、当区議会の工場建設にかかる審議はこの辺が限度と考えるに至る。 都は北清掃工場建設にあたりその装備に近代科学の粋を集め、最善の方途を講じ、都の責任において区と充分連絡協調の上、地元区民の要望する福祉施設の条項も最大限取り入れ、志茂設置反対側の協力と了解をうる努力を傾けるよう強く希望する。 以上 委員会としては原案通りとし委員総会に提出した。午後一時からの総会で案文朗読中、地元陳情者が無断入場し、議事継続不可能で休憩を宣言した。 二時に委員会を再会するも、反対期成同盟は傍聴を要望し、特例として五名の傍聴を許可。 革新議員団から最終決定とも思われる回答をすべきでないとの見解が出されたが、結論が出ず委員会は閉開し、委員総会が再会。 再開された総会は出席者十九名(定足数二十四名)であったため、後日回答案文を検討するとし、閉会となった。 | |
| 1962年(昭和37)11月15日 | 委員会総会開催に対し、反対期成同盟はこの会議で都への回答文が決定されれば、志茂の工場建設は確定的と判断し、会議場入口を占拠。同盟側の要請で、区議会公聴会開催の請願を受けた後、委員長は正副議長・各派幹事長と収拾策を検討。 革新議員団を除く各派幹事長は、陳情団の圧力は議会政治尊重を否定し、清掃工場問題は結論が出ており、公聴会の必要なしを主張。各派で収拾策検討のため閉会となる。しかし夕刻になっても反対者側が退去の説得に応じず、警察官の出動を要請する非常事態が生じた。 委員会の「警官出動要請の経過と結果について」は詳述あり。 「警官出動要請の経過と結果について(概略) 北区振興促進特別委員会(三七・一一・一五) 期成同盟は約4500名が日の丸に決死とかいた鉢巻をし議場前の廊下に集合し気勢をあげた。(中略)午後六時になるも反対者は退去せず議長は区長と協議の上、警察官の出動を要請した。王子警察署長以下約百名の警察官が来庁。反対者側に再三退去を要請するも応じず。午後七時、警察官の実力行使に対しトラブルなく庁外に反対者は誘導された。」 この後委員会を開催し、10月31日の理事会で決定した都への回答の賛否を採決し、賛成27名で理事会決定通りとした。 | |
| 1962年(昭和37)12月 | 北清掃工場建設についての回答 北区議収第764号昭和37年12月11日 東京都清掃局長 林 五郎殿 京都北区議会議長 岩井貞吉 | 北区行政文書 12月 |
| 1963年(昭和38)6月 | 清掃工場設置賛成の議決無効を陳情 | 毎日新聞 6.27 |
| 12月 | 煙突男、小野田年宗氏50mの煙突で84時間抗議 | TBSアーカイブ秘録 |
| 1963年(昭和38)12月 | 北清掃工場建設についての要望、回答 | 北区行政文書 12月 |
| 1964年(昭和39)5月 | 都が北清掃工場建設で地元説明会 依然反対派と平行線 北清掃工場の建設 都が地元で説明会 | 毎日新聞 5.29 |
| 1964年(昭和39)12月 | ゴミ焼き場設置反対期成同盟の陳情行動 都議会へ“人海陳情” 北清掃工場建設反対で | 読売新聞 12.8 |
| 1965年(昭和40)6月 | 北清掃工場の建設について 四〇清施建発題五六号 昭和40年6月21日 北区議会議長 佐藤佐吉殿 東京都清掃局長 関根通仲 | 北区行政文書 6月 |
| 1965年(昭和40)6月 | 北清掃工場着工に区が同意 北清掃工場ようやく着工へ 異例の投票「九対七」 北区議会特別委 都の最後通告のむ | 読売新聞 6.24 |
| 1965年(昭和40)7月 | 北清掃工場着工に反対同盟が闘争方針決定 もめるゴミ焼き工場 中止の仮処分も 北区 反対同盟が強硬態度 | 毎日新聞 7.2 |
| 1965年(昭和40)10月 | 北清掃工場建設に関する懇談会の開催について 四〇清施建発第九一号 昭和40年10月16日 北区議会議長殿 清掃局長 橋本博夫 | 北区行政文書 10月 |
| 1965年(昭和40)11月 | ゴミ焼場設置反対期成同盟通知書、要望書 一、通知書 二、要望書 ゴミ焼場設置 反対期成同盟 | 北区行政文書 11月 |
| 1965年(昭和40)11月 | ゴミ焼場設置反対期成同盟通知書、要望書に対する回答 | 北区行政文書 11月 |
| 1965年(昭和40)12月 | 北清掃工場建設反対でハンスト もめる北清掃工場建設 地元民ついにハンスト 北風に主婦ら五人 “阻止実現まで無期限” | 読売新聞 12.6 |
| 1965年(昭和40)12月 | 北清掃工場に関する要望書 「12月8日提出済」 東京都北区議会議長 上代国吉 東京都知事 東 龍太郎殿 東京都議会議長 大日向蔦次殿 衛生経済清掃委員長 的場茂殿 財務主税委員長 佐々木千里殿 清掃局長 橋本博夫殿 | 北区行政文書 12月 |
| 1966年(昭和41)7月 | 北清掃工場建設に反対同盟は強硬な方針 実力で建設を阻止 北清掃工場の建設問題 地元、新運動方針決める | 東京新聞 7.8 |
| 1968年(昭和43)4月 | 北清掃工場をめぐる和解勧告を反対同盟が了承 三条件で和解へ 北清掃工場 反対同盟の訴訟 | 毎日新聞 4.19 |
| 1968年(昭和43)8月 | 北清掃工場設置に関する協定書の成立について 四三清施建発第一六二号 昭和43年8月10日 東京都北区議会 議長 中村正太郎殿 東京都清掃局長 手塚正三 東京都北清掃工場設置に関する協定書(第1次協定書) (参考)東京都北清掃工場運営協議会規則 | 北区行政文書 |
| 1968年(昭和43)8月 | 北清掃工場が試験操業開始 都北清掃工場が試験操業 | 読売新聞 8.14 |
| 1968年(昭和43)9月 | 北清掃工場の視察について 北清掃工場の視察 昭和43年9月14日(土)午前十時三十分~正午 視察者 別紙名簿の通り 東京都北清掃工場概要 | 北区行政文書 9月 |
| 1969年(昭和44)7月 | 北清掃工場の都区連絡調整協議会が発足 都区連絡調整協議会が発足 清掃工場の運営など協議 | 北区新聞 7.6 |
| 1970年(昭和45)5月 | 北清掃工場の第二次協定書に調印 都は公害防止に義務 清掃局、地元代表が協定書に調印 北清掃工場 九年ぶりに終止符 | 週刊都北 5.17 |
| 1972年(昭和47)1月11日 | 志茂区民会館落成祝賀会 | 自治会名簿 平成13年 |
| 1983年(昭和58)9月25日 | 北清掃工場建直し計画案発表に対応するため ゴミ焼き場設置反対期成同盟再建総会開催 山口繁蔵会長に就任 | 自治会名簿 平成13年 |
引用文献 北区行政文書は「北区史資料編」平成八年
新聞記事は「北区史資料編 現代Ⅱ」
「煙突男」の記事はTBSアーカイブ秘録より